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Q&Aシステム不具合について

平成25年9月2日~10月24日まで、システムの障害により、Q&Aの申し込みが受け付けられない状態にあることがわかりました。
この間にQ&Aの登録申し込みをされた方で、まだIDの通知を受け取っていない方は、お手数ですが再度お申し込みいただきますようお願いいたします。

ご迷惑をおかけして済みませんでした。
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# by multiplesclerosis | 2013-10-24 15:54 | お知らせ

視神経脊髄炎(NMO)における多様なアストロサイトパチー病変

これまで脳疾患においてアストロサイトが一次性に傷害されると考える人は多くはありませんでしたが、近年NMOが自己免疫性アストロサイトパチーと考えられるようになり、その他にも脳虚血やてんかん、肝性脳症など、様々な疾患でアストロサイトの重要性が注目されています。Clasmatodendrosisは、古くはCajalが脳虚血や死後脳におけるグリア変化として報告、肥大化したアストロサイトが足突起の退縮や断裂を伴う現象です。以後、殆ど注目されませんでしたが、最近は虚血やてんかんなどで報告されています。

今回、詳細にNMO病変を観察し、従来から知られてきた補体介在性の病態の他に、かなり多様性があること、Clasmatodendrosis(突起崩壊)を伴う特異な現象が存在することを明らかにしました。この多様性は、個々の症例の同じ病変内においても存在し、アストロサイトの持つ特殊性、それを傷害するAQP4抗体や補体を介した多様な免疫病態を反映した現象と考えられます。中には、非常にアストロサイト選択的傷害を呈し、髄鞘や軸索の障害が殆ど無い補体非介在性病変も認められました。また、本来は細胞表面に存在するAQP4やAQP1が内在化し足突起の変性や細胞死を伴うものもみられ、抗体を介したアクアポリンの変性による機序が考えられました。

これらの多様性は、従来MSやNMOで言われてきたような疾患の異同を論じるものとは異なる次元のものと考えています。NMOのアストロサイトパチー病変では、少なくとも補体介在性の他にAQP4抗体に関連したAQP4の内在化、足突起の崩壊現象が関連している。今後、更なる検討が必要と思われます。
(文責:三須建郎)

Presence of six different lesion types suggests diverse mechanisms of tissue injury in neuromyelitis optica.

Acta Neuropathol. 2013 Apr 12. [Epub ahead of print] 
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/23579868
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# by multiplesclerosis | 2013-04-15 00:05 | 研究成果

第65回米国神経学会の報告

f0183250_19262235.jpg第65回米国神経学会(American Academy of Neurology, AAN)が、2013年3月16日から23日までカリフォルニア州サンディエゴのコンベンションセンターで開催されました。仙台を出るときは冬用コートを着ていましたが、サンディエゴはとても温かくコートは不要でした。AANは世界最大の神経内科の学会であり、MS、NMOのみならず神経内科領域のあらゆる疾患の臨床、病態、治療など関する最新情報の発表が行われました。
当科からは黒田先生、ダグラス先生と藤原が参加しました。
 
MSのトピックスもたくさんありますが、以下にはNMOに関するいくつかの話題を紹介します。
NMOに関する教育コースでは、メイヨークリニックのピトック先生が具体的な症例を提示し、アクアポリン4抗体検査としてELISAでの低い値の陽性の場合は、実際には臨床やMRI所見からはNMOではなくてMSと判断され治療した症例が紹介されました。すなわち検査結果が偽陽性だったということです。逆に検出感度が低いための偽陰性の場合もあり、注意が必要だということが指摘されました。
 
日本からのポスター発表では、東京女子医大の清水先生の日本人のNMOの患者さんの妊娠出産時の再発率に関する研究が特に注目され、学会のハイライトに選ばれました。NMOの患者さんの多くは女性ですが、特に出産後の半年には妊娠前や妊娠中の時期に比べて再発が著明に増加する傾向が見られました。これまで、胎児への影響を考えて妊娠したら基本的にすべての薬をやめるというのが一般的な考え方でしたが、この結果をみるとNMOの患者さんが無治療で出産に向かうのは危険だと思われます。そこで最近当科では、アクアポリン4抗体陽性の患者さんが妊娠したら、ステロイドやイムランの内服を継続して再発予防を続けながら妊娠出産することを個々の患者さんと相談しながら進めています。胎児の安全と共にお母さんとなる患者さんの病状が悪化しないように注意を払うことが重要と考えています。

f0183250_19274075.jpgダグラス先生は、多数例における高感度のアクアポリン4抗体検査の結果から、現在のNMOやNMO Spectrum Disorderの基準を満たさない症例の中にも一部は抗体陽性例があることを報告しました。これは従来のNMOの概念より広い範囲の患者さんがこのグループに属することを示しており、特に治療を選択する上で重要です(MSの治療薬でNMOが増悪することが報告されていますので。)。発症早期にアクアポリン4抗体検査を実施することの大切さを再認識させる研究結果といえます。

NMOの新たな診断基準を作成するための国際委員会も開催され、どのような臨床症候や検査所見が診断上重要であるかが検討されました。今後さらに議論を重ねて、今年中旬ごろには新基準をまとめようということになりました。

また黒田先生は、一酸化炭素中毒の間歇型(遅発性脳症)の発症リスクと重症度に関する研究で、昨年に引き続き口演に選ばれました。年齢や間歇期の期間、またMSの脱髄マーカーである髄液のミエリン塩基性タンパク濃度などが重要であることを明らかにしました。

次回のAANは、2014年4月26日から5月3日までペンシルバニア州のフィラデルフィアで開催されます。(藤原)


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# by multiplesclerosis | 2013-03-26 19:28 | 学会報告

震災の体験談

2011年3月11日の東日本大震災からすでに丸2年が過ぎました。復興への道のりはまだ長く険しいものがありますが、この未曾有の震災の経験を風化させてはならないことも事実です。
以下の文章は、全国パーキンソン病友の会宮城県支部の第2回ミニ集会(平成25年2月4日、仙台市福祉プラザにて開催)において、同じ神経難病であるMSの宮城県の患者団体(MS虹の会)の鈴木明美さんがご自身の震災の体験談をお話しになったものです。「全国パーキンソン病友の会宮城県支部だより」に掲載されていたものを、許可を得て転載させていただきました。
鈴木さんは、現在52歳で宮城県石巻市にお住まいです。MSのため両目の高度の視力障害があり、右手足の脱力もあります。

3.11東日本大震災体験談
多発性硬化症虹の会
副会長 鈴木明美

地震発生、そして津波第一波
地震なのか余震なのか、自分でもあまりよく覚えていないのです。二階に寝ていて…下に降りて来たのも全然わからない。はっと気が付いた時にはもう庭に出ていたんです。体は全然動かないし、薬も全部おいてきてしまったので、どうしようもなくて…。
うちは窓を開けてすぐ下が川なんです。ちょっと離れているんじゃなくて窓を開けて、すぐ釣りができるような場所だったんです。たまたま向かい側の娘さんが夜勤で、エンジンをかけていて、車で逃げようと思い荷物の積み方をしていた時、ふと庭を見たら私がうずくまっていたのが見えたので、連れて行ってもらえたんです。連れて行ってもらわなかったら―津波にもっていかれたな―と思います。
常に防災用具はリュックサックに入れて玄関に置いていたんですが、あのようなときには持っていけません。「あそこにある」のはわかるのですが、取りには戻れないし玄関の下駄箱も全部ひっくり返っていたので開かない状態だったんです。防災用具は何カ所かに入れて、いざというときにはどこから出ても持てるような状態にしておかないと、一カ所ではとても無理だということがわかりました。
みなさんもそうですけど、薬がないと体の動きや調子が悪くなりますよね。そんな時に限って、自分でもいつも持っているバッグをすぐに持てばよかったのですが、そういうのも全然気が回らないし、パジャマのまま逃げたので…。
津波が来る来る、と言われても今まで来なかったし、川の近くでもあまり危機感がなかったんです。多分自分の頭の中にも大丈夫だという思いがあったようで、向かいの娘さんに「とりあえず家に行こう」と言われても「大丈夫だから」と断ったようなんですね。でも無理矢理連れて行ってもらって良かったです。車で逃げようと思ったのですが、私の動きが鈍かったので車に着く前に、もう水が来てしまい、結局車も流されてしまいました。
私たちは胸まで水に浸かりながら、向かいの平屋のバイク屋さんに逃げたんです。中二階くらいの所に資材置き場があって、そこに細い橋が架かっていたので、そこに逃げようってことになりました。足が全然動かないし水圧もあったので「多分このまま流されるんだろうな」て漠然と頭の中で思ったのですが、たまたま足を掛けた所が何かの台で、グッッと娘さんに引き上げてもらいました。

第二波、第三波が来て
第一波では水に浸ってしまいましたが、津波は第二波、第三波と大きくなるのを知っていました。でも娘さんはまだ若かったので『引き波が終わった時に逃げよう」と言い出しました。私は「今行ったら私たち多分みんな終わりだから」と言って何とか留まったんです。二波も三波もすぐ足元に水が来るような状態でした。多分、見えている人にはきっと水が上がって来る様子が見えたのでしょうが、私は視覚障害なので水が上がって来ている状態は、バイク屋さんの修理工場の中の鉄骨とか、修理しているバイクとかが建物の鉄筋に当たる音で、グーッと上に上がってきているのがわかりました。真っ暗だし、自分が洗濯機の中にいるような感じがしました。
ああいうときは、とんでもないことを考えるようで、ポケットに携帯電話がたまたま入っていたので、全然繋がらないのに一生懸命「生きてます」みたいなことを打っていたようなんです。娘さんに「そういうことをしても無駄だし、とにかく何か着る物を探して来るから。平屋の家の天袋に使わない服があるから、それを持ってくる」と言われたのですが、このまま一人でおいて行かれたらずっとそこにいなきゃいけないような気がして、とにかくここに一緒にいてくれって言ったんです。
だんだん雪も降ってきて…。低体温で死ぬってことはこういうことなのかな。と思うくらい、ガタガタじゃなくてガクガクしてきました。体全体が誰かに揺さぶられているような感じで、その時濡れているからどうしようもありませんでした。
第三波くらいが引いたらとにかく避難所に行こう。ていうことになりましたが、ほんとに川の目の前なので水が引かないし、よその家の屋根とか瓦とか、もちろん車も三台も四台も重なっているところを逃げないといけませんでした。体が動かないのは、ほんとに大変なことで、ほんの10cmの段差も上がれなくて、結局は這って、体中、泥だらけになってしまいました。
そういうふうにしているうち、たまたまタクシー会社の社長さんが従業員を逃がそうと思い、マイクロバスに乗せたのに、水没して動けなくなってしまったらしいのです。でもだんだん水が引いたら上手い具合にエンジンがかかり、みんなで押したら動いたらしいんですね。その車が私たちの脇をスーツと通って行ったんです。もう終わりだなって思ったのですが、戻ってきてくれて、泥だらけのまま一番近くの避難所に乗せて行ってもらったんです。

避難所での生活の実態
避難所ももちろん停電だったので何も見えない状態でした。視覚障害の自分は、こう行ったら右手がトイレで左手が水道だ。て頭に入れるのですが、人が増える度に、通路が変わってくるので、みなさんに申し訳ないなと思いながら手を貸してもらいました。
トイレは水が流れないし、電気もダメなのでプールから水を汲んで流すのですが「ちゃんと流してください。トイレットペーパーは汚物入れに入れてください」と言われているのに、そういう時ってみんな自分のことしか考えないんですね。プールに水を取りに行かないで用を足したまま流さないので、ドンFンドンドン汚物が重なって…。私はよく見えないので「ここにまたいで」と言われても足を上げると汚物の上に…。一度汚れてしまったら中には入れないし、靴も脱がないといけないし。どっちみち汚れているからそれでもよかったのですが、こういう時って周りの人のことを考えないで自分本位になってしまうんだな。てなんかすごく悲しかったですね。自分が用を足したらバケツ-杯流せばいいのに、それをしないがために全部山になって。私はそれがよく見えなかったので、足の感覚で「みんな汚物そのままだな」とわかるだけだったのですが、見えていた人は耐えられなかったようです。やっぱりそういうときはお互い様なので、こういうふうにしましょうと言われたら、一人一人がそれを守らないといけないですよね。
薬も持っていなかったし、主人も会社で被災して帰って来れなかったので、福祉避難所に行ったほうがいいと思いましたが、そこにいる職員の人に「福祉避難所というのは体が動かない人、寝たきりの人、それからお年寄り、介助が必要な人が行くところで、おたくみたいに元気のいい人が行くところじゃありません」と言われたんです。「私、視覚障害なので行きたいんです」と言っても、目の病気じゃなくて神経なので、見た目にどこも悪くないように見えるし、今度は、動かないのは動きたくないから動かないんだ。と思われて「おばあさん達もこんなに一生懸命やってんのに、あんだは動けるような体なのに、なんで動かないの?」と言われ、本当に悲しくなってしまいました。

自宅に帰ってみて
三日目に主人が迎えに来たとき、そういう状態を主人も見てしまったので「壊れていても何でもいいから家に帰ろう」と言われ、雪の降る中、一時間かけて歩いて家に帰りました。でも家に帰ってみると水は引いていましたが、階段の上に魚がいたり、お風呂場の浴槽には泥が入っていて、その中にも魚が何匹か浮いていました。家の中にはよその知らない人の物がいっぱい入っていて、自分の家にあるべき物がなかったり…。どうしようと思いましたが、なんとか二週間くらいかけて二人で片付けました。全然情報がなくてわからなかったのですが「ボランティアさんが泥かきとか、がれき片付けとかしてくれたのに」という話を、自分たちが片付け終わってから聞きました。
目の前ががれき置き場だったので、がれきに家が潰されるんじゃないかと思うほど、ドンドンドンドン溜まっていきました。自分の家もそうですが、がれきといっても一つ一つ思い出がある物なのに、みなさんそこに、ただ捨てて行くのを眺めていました。お茶碗一つにしても私たちが一生懸命働いて買った物じゃないですか。それを泥だらけになったからといって、捨てるのはしのびないよね。と思いながら、人の家のがれきや、自分の家のがれきを、仮設住宅に入る10月まで見ていました。

患者会の大切さ
その間にも佐々木さんはじめ、みなさんにお世話になりました。患者会に入っていてすごくよかったと思いました。隣近所の人たちもみんな被災しているので、本当に自分たちのことだけで精一杯でしたし、年齢がいっている人は娘さんや息子さんの所に行ったりして、気が付いたらそこには二軒しかいない状態だったのです。改めて患者会の繋がりはすごく大きかったな、繋がっていてよかったなと思いました。そういう時は身に染みてわかりました。普段は患者会のことを、自分も大変だけど、みんなも病気だから。て感じで義務みたいに、患者会に入っているから行かないといけない、みんなと交流しないといけないと思っていたんです。でも、そうじゃなくて小っちゃな繋がりがすごく私には大きく広まって現在に至っているのです。すごく大事なことなんだなと改めて思いました。

仮設住宅で思うこと
まだ仮設住宅にいます。次の住家になる場所がなかなか決まらなくて四苦八苦しています。だいたい何年後かと目途がつけば頑張れますがまだまだ全然ないのです。昼間はいいのですが、夜主人が帰ってくるのがだいたい8時半位なので、暗くなって一人の時間が長くなると押し潰されそうになるのです。自分は病気で何もできない。主人は仕事でいっぱい遺体を運んだり、流れてくる人を助けたりして辛い思いをしているのに、それを言ったら病気の私が大変な思いをするだろうとそれを留めておいているんです。それを考えると何もできない私がこうしていていいのかなと思うし、ご近所のお世話になった人たちが亡くなったので、その人たちの代わりに私が逝けばよかったんじゃないか。て考えてしまうのです。それは月日が経つごとに大きくなり、今は、本当に先が見えなくなってしまいました。自分がここにいていいのだろうか?でもいいんだよね。て毎日その繰り返しです。調子のいい時は頑張れるから、うちの人の力にもなれるって思うのですが、調子が悪くて動けなくなったりすると、迷惑かけているんじゃないか?て思ったりします。物がなくなったり、家がなくなったりするのも辛いのですが、何で自分は動けないのにこうして生きているんだろう?てそっちのほうが大きくなって、それがなかなか自分の中で整理がつきません。
でもほかの健常者の方に聞いても「若い人が逝ってしまって年齢がいった自分たちがこうしていていいのか?て思うよ。だから病気の明美ちゃんだけじゃなく、私たちも思うことなんだよ」て。
でもそれを被災していない人はわかりませんよね。「復興住宅にも入れてもらって、代替地だって考えてもらって、ボランティアさんにはいろいろな物をもらっていいよね」て言う人がいるけど、違うんだよね。今はもう気持ちが…心が折れそうだよね。

これから
震災直後は「みんな被災してんだから頑張ろう!」ていう気持ちのほうが強かったのに、今は、だんだん家が建って出て行ったり、仕事の目途がついて新しいところに移ったりする人が結構いるので、引っ越しを見る度に自分たちは取り残されているような…。被災して、ここにいる人たちと周りから見る目が全然違うんだよね。テレビなんかでは「復興してきてますね。仕事もだんだんできるようになりましたね」ていうのを聞くと「私たちの気持ちはわかんないな、この人は」と思います。「でも頑張んなくちゃね、でもこれ以上何を頑張ったらいいのかね」と言いながらおばあちゃんたちは毎日ひなたぼっこをしています。そういう表には見えないことを、みんなにもわかってもらいたいな、と思い毎日生活しているので、今日は自分の思いがちょっとでも伝わればいいなと思いました。
ありがとうございました。


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# by multiplesclerosis | 2013-03-25 14:39 | お知らせ

第30回日本神経治療学会総会報告

f0183250_15121621.jpg平成24年11月28日~30日に、北九州市の北九州国際会議場を主会場に、第30回日本神経治療学会総会が開催されました。参加人数は1000人近く、会期も3日間となり、とても盛会でした。通常、この規模の学会は、研究報告が主体で、本会も以前は症例報告のオンパレードだったのですが、一般演題の大部分はポスター発表となり、多くの時間が疾患および治療手技の教育講演に割かれたことにより、とても意義ある学会に変わりつつあるように思います。さらに、日本発の創薬の推進、臨床試験の推進、産学連携の推進など、難病の多い神経内科疾患治療の開発に向けて重要な役割を果たす学会になっていきそうです。

初日の評議員会・総会のあとで、当講座の活動が2011年度治療活動賞を受賞することになり、代表で中島が表彰を受けました。辻貞俊学会長から表彰状と記念の盾をいただきました。受賞理由は「多発性硬化症及び視神経脊髄炎の早期治療に関連した検査サービスとオンライン医療相談」です。2002年頃から行っている髄液オリゴクローナルバンドの等電点電気泳動法による測定サービス(現在は三菱化学メディエンスに移譲して判定のみ)、2006年頃から行っている抗アクアポリン4抗体の測定サービス(担当:高橋利幸先生)、2011年から行っているインターフェロンβ中和抗体の測定サービス(担当:サトウダグラス先生)、2008年から行っているウェブサイトを介したオンライン医療相談などの、多発性硬化症の診療に関わる社会貢献が認められての受賞でした。

f0183250_15124484.jpg多発性硬化症関連では、教育講演、一般演題を含め、発売から1年になるフィンゴリモドの適用や安全性に関する話題が中心でした。安全性が確立しているインターフェロンβとの使い分けや切り替えのタイミングについての話も多く、どの講演でもインターフェロンβの中和抗体の意義について触れられていました。このこともあり、当講座からは再度中和抗体の臨床的意義について一般演題で話をさせていただきました。インターフェロンβは7割くらいの患者さんには本当によく効きますが、残りの3割の患者さんには明らかに効果は不十分で、フィンゴリモドへの切り替えが推奨されます。中和抗体の存在は将来の効力低下の可能性を示唆するものであり、切り替えの理由として重視してもいいと考えています。

学会2日目の懇親会では、シンガーソングライターの樋口了一さんが日本レコード大賞受賞作品の「手紙~親愛なる子供たちへ~」を熱唱され、大いに盛り上がりました。


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# by multiplesclerosis | 2012-12-02 15:16 | 学会報告

第4回仙台MSセミナー医療講演会報告

f0183250_1912363.jpg平成24年10月27日に第4回仙台MSセミナー医療講演会をとても見晴らしのいいアエル21階のTKPガーデンシティ仙台で開催しました。参加人数は90名近く、初めて参加された方もとても多かったようです。

今回の講演は、北海道医療センターの臨床研究部長である新野正明先生に多発性硬化症の病気の原因や治療法について、さっぽろ神経内科クリニックの西山和子さんに多発性硬化症患者さんのサポートについて、当教室の三須先生に視神経脊髄炎の研究についてお願いしました。

講演後は、初めての試みとして、パネルディスカッションを行いました。新野先生、西山さん、三須先生の他、藤原教授、広南病院の佐藤滋先生、東北厚生年金病院の藤盛寿一先生にもパネリストに加わってもらい、フィンゴリモドについて、これから期待される新薬について、iPS細胞について、後遺症について、医療機関との付き合い方について、のご意見を聞かせていただきました。会場からの質問もあって、いい内容だったと思います。

これからアンケートを集計し、来年の計画に生かしていこうと思います。


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# by multiplesclerosis | 2012-10-28 19:14 | 講演会報告
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