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震災の仙台から(12):復興を阻む余震

 3月11日震災以来、毎日からだに感じる余震が何度も起こってきました。そのたびにドキッとしたり胃が痛くなるなど、繰り返す余震が大きな精神的ストレスになっていると話してくれたMS患者さんもいます。しかし4月7日深夜(23時33分)の強い余震(震源は宮城県でマグニチュード7.1、仙台市中心部は震度6弱)では、また新たな人的及び物的被害が出ています。私は自宅にいましたが、携帯電話の緊急地震速報のブザーが鳴り(3月11日14時46分の初回以降12回目)、部屋全体が激しく1分程度揺れました。この余震により東北地方の約400万戸で停電し、死者や負傷者も出ました。仙台市内でもライフラインがすべて止まった地区もあったようです。また新幹線が運転見合わせとなり、一部の高速道路も通行止めになりました。さらに女川原発の3つの外部電源が途絶し残りの1つの回線のみで原子炉などの冷却が維持され、また使用済み核燃料貯蔵プールの冷却が1時間以上できなかったことが報道されました。女川原発と福島原発との間に位置する仙台の市民の一人としては、放射能汚染に対する不安が増しました。

 東北大学病院は、補修したばかりの隣り合う建物の継ぎ目の部分に再び亀裂が生じ、当初エレベーターも止まってしまいましたが、その後復旧しました。余震発生直後の深夜1時そして朝7時に災害対策会議が開かれ、被害状況の確認や対応策が検討されました。病院玄関ホールでの災害時のトリアージ体制が朝までひかれました。結局インフラの復旧が速やかに行われ、大学病院の診療は翌週から通常通りにする方向になりました。なお当院の感染症制御学の先生方の報告によれば、宮城県各地の避難所でインフルエンザや肺炎が少しずつ発生しているものの、特定の感染症の大規模な流行には至っていないようです。

震災の仙台から(12):復興を阻む余震_f0183250_22191592.jpg 医学部研究棟の私の部屋では、この余震により停電と断水の状態になり本、書類、イスなどが倒れたり落ちており、机の引き出しやロッカーの扉が開いていました。研究室でも一部の実験機器などが床に落ち、また窓やキャビネット、冷蔵庫のガラス戸が開いていました。これは今回かなり横揺れがひどかったためではないかと思われます。今週から再開していた細胞培養や冷凍庫も停電でピーピーという警報音がいくつも部屋全体に鳴り響いていました。幸い午後には研究棟の電気や水道も復旧しました。しかし私の部屋のある研究棟と隣の研究棟の間の空き地には、3月11日の地震と今回の余震により廃棄することになった本棚、机、パソコンなどが山のように積まれており(写真)、これを見ただけでもいかに多くの医局や研究室内がめちゃくちゃになったがわかります。

 復興に向けて社会全体が動き始めていたところであり、様々な組織や団体(例えば神経疾患の領域では日本神経学会や全国の大学医学部神経内科、国立精神・神経医療研究センター、NPO法人のMSキャビンなど)による多彩な支援活動が実施あるいは企画されています。私たちの研究室でも実験機器の動作性チェックや細胞の培養などが再開されたばかりでしたが、今回の余震により研究を元の軌道に乗せる道のりはまた少し長くなってしまいそうです。(つづく) (藤原)


by multiplesclerosis | 2011-04-09 22:21 | お知らせ
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