震災の仙台から(2):震災から一夜明けて
震災当日は夕刻になり雪が降ってきました。そして夜になり自転車で大学から自宅へ帰るまでまったく真っ暗でした。街灯も信号も消えており、そして日頃なぜこんなにたくさんあるのかと思っていたコンビニの照明もすべて消えていました。普段の私たちの生活がいかに光にあふれたものであったかを痛感しました。夜中には頻繁にかなり大きな余震がありそのたびに眼が覚めました。
夜が明けて平成23年3月11日土曜日になりました。晴天でしたが自宅から大学病院へ向かう途中、あいかわらず信号は消えたままで、車や自転車は交差点では徐行していました。またコンビニやスーパーの前では買い物をしようとする人々の長蛇の列ができていましたが、あっという間に売り切れて閉店となりました。そして大学の病棟のテレビで、昨日の岩手県や宮城県の太平洋沿岸地域を襲った巨大津波の猛威を初めてこの目で見ました。海辺の町の家や車が津波によって押し流されていく様子やしばしば利用する仙台空港の滑走路があっという間に津波で覆われていく映像には言葉を失いました。後日、今回の地震がマグニチュード9.0という阪神淡路大震災の700倍のエネルギーを持ち、人類の歴史上も5本の指に入る大地震であることを知りました。
またMSやNMOの患者さんやそのご家族は無事だろうかととても不安になりました。今回のような大きな震災は、外傷などだけではなく、身体と心の両方に大きなストレスとなります。ストレスは免疫系に影響を及ぼしMSの再発にも関係しうるわけです。また避難所の不自由な暮らしのためにかぜやインフルエンザなどの感染症が広がりやすいことも再発の誘因になることが懸念されます。早速、地震や津波などの災害とMSの関連について調べてみたのですが、残念ながらこの点に注目した研究を見つけることはできませんでした。
さて東北大学病院では、早速今回の震災に当院がどのように医療面で対応するかを協議する里見院長を代表とする対策会議が立ちあげられ、各科各部門の責任者が集まり毎日朝夕に定例会が行われるようになりました。今後、近隣あるいは遠方の医療施設から救急や重症の患者さんが陸路やヘリなどで多数搬送されることになるであろうし、また津波で町が崩壊し孤立した病院や避難所に医師や救護班を派遣しなければならないであろうということなどが話し合われました。しかしこのような外部への対応のみならず、当院における診療そのものも極めて難しい状況にありました。外来棟や種々の設備や機器類の破損に加え、薬剤についても震災により物資の流通網が寸断されてしまったため、MSやNMOの治療薬を含めてすべての薬剤の納入が困難だったのです。おそらく、平成7年1月の阪神淡路大震災の時にも神戸やその近隣地域の医療機関の先生方も同じような問題に直面されたのではないかと思います。
我々の医局(写真)のある研究棟に関しても暗いうわさが流れました。建物の破損がひどく、取り壊しになるのではないかといううわさです。もし本当にそうなれば、皆が時間をかけて作り上げてきた免疫や病理などの解析システムや蓄積した基礎及び臨床データのすべてを失ってしまうことになります。これには、研究を続けてきた大学院生や私たちスタッフも目の前が真っ暗になりそうでした。(つづく) (藤原)
夜が明けて平成23年3月11日土曜日になりました。晴天でしたが自宅から大学病院へ向かう途中、あいかわらず信号は消えたままで、車や自転車は交差点では徐行していました。またコンビニやスーパーの前では買い物をしようとする人々の長蛇の列ができていましたが、あっという間に売り切れて閉店となりました。そして大学の病棟のテレビで、昨日の岩手県や宮城県の太平洋沿岸地域を襲った巨大津波の猛威を初めてこの目で見ました。海辺の町の家や車が津波によって押し流されていく様子やしばしば利用する仙台空港の滑走路があっという間に津波で覆われていく映像には言葉を失いました。後日、今回の地震がマグニチュード9.0という阪神淡路大震災の700倍のエネルギーを持ち、人類の歴史上も5本の指に入る大地震であることを知りました。
またMSやNMOの患者さんやそのご家族は無事だろうかととても不安になりました。今回のような大きな震災は、外傷などだけではなく、身体と心の両方に大きなストレスとなります。ストレスは免疫系に影響を及ぼしMSの再発にも関係しうるわけです。また避難所の不自由な暮らしのためにかぜやインフルエンザなどの感染症が広がりやすいことも再発の誘因になることが懸念されます。早速、地震や津波などの災害とMSの関連について調べてみたのですが、残念ながらこの点に注目した研究を見つけることはできませんでした。
さて東北大学病院では、早速今回の震災に当院がどのように医療面で対応するかを協議する里見院長を代表とする対策会議が立ちあげられ、各科各部門の責任者が集まり毎日朝夕に定例会が行われるようになりました。今後、近隣あるいは遠方の医療施設から救急や重症の患者さんが陸路やヘリなどで多数搬送されることになるであろうし、また津波で町が崩壊し孤立した病院や避難所に医師や救護班を派遣しなければならないであろうということなどが話し合われました。しかしこのような外部への対応のみならず、当院における診療そのものも極めて難しい状況にありました。外来棟や種々の設備や機器類の破損に加え、薬剤についても震災により物資の流通網が寸断されてしまったため、MSやNMOの治療薬を含めてすべての薬剤の納入が困難だったのです。おそらく、平成7年1月の阪神淡路大震災の時にも神戸やその近隣地域の医療機関の先生方も同じような問題に直面されたのではないかと思います。
我々の医局(写真)のある研究棟に関しても暗いうわさが流れました。建物の破損がひどく、取り壊しになるのではないかといううわさです。もし本当にそうなれば、皆が時間をかけて作り上げてきた免疫や病理などの解析システムや蓄積した基礎及び臨床データのすべてを失ってしまうことになります。これには、研究を続けてきた大学院生や私たちスタッフも目の前が真っ暗になりそうでした。(つづく) (藤原)
by multiplesclerosis
| 2011-03-19 21:05
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