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震災の仙台から(1):震災発生、その時

震災の仙台から(1):震災発生、その時_f0183250_1437815.jpg 東北地方太平洋沖地震からちょうど1週間が経過しました。これを機に今回の震災と我々の診療活動などについて振り返ってみたいと思います。

 平成23年3月11日午後2時46分に携帯電話の緊急地震速報のブザーが鳴りました。地震の時はいつも部屋の前の廊下に出ることにしていましたので、この時もそうしたのですがかつて経験したことがない激しく長い地震でした。壁がきしみ、その一部が落下し、窓ガラスも一部割れました。廊下にいた人たちは皆が動けずにおり、しゃがんで泣き出している女性職員の方もいました。少しおさまってから屋外に出ましたが、その後も地面が大きくうねるような地震が繰り返し起こり、その際は研究棟のビルも大きく揺れました。まもなく停電になりましたが、この後大津波が東北から関東一帯の沿岸地域に甚大な被害をもたらし、1万人以上の方々が死亡あるいは行方不明になっているとはこの時点では知る由もありませんでした。

 幸い外来、病棟の患者さんにけがなどはなく、医局の職員も無事でしたが、その後まもなく電気、水道、ガスなどのライフラインがいずれも止まりました。大学病院の病棟は新しく耐震性に優れており、大きな問題はありませんでしたが、外来棟では書類は散乱し物が倒れ、パソコンのディスプレーなども破損しており、とても診療できる状態ではないことは一目瞭然でした。また建物の安全性も不明とのことでした。また私のオフィス(写真)も、神経内科の医局も、また全国から検体を受注していたアクアポリン4抗体の測定をしていた研究室もすべて室内はめちゃめちゃになっていました。また間もなく研究棟は構造上の安全性が確認できないとの判断で立ち入り禁止になりました。これまで積み上げてきた診療、研究や抗体検査サービスなどのすべてを失ってしまったとの思いが皆の頭の中を駆け巡り、茫然とするほかありませんでした。

 その晩、大きな損害はなかった自宅に帰ってからも乾電池を使ったランプ1つで室内を照らし、女房は非常用に備蓄していたペットボトルの水とガスボンベを使って薄暗い中で夕食を調理しました。情報は小さなラジオのみでした。一方、ライフラインが断たれていることや建物の損傷のため近隣の小学校などの避難所で夜を過ごす医局員も少なくありませんでした。(つづく)   (藤原)


by multiplesclerosis | 2011-03-18 14:12 | お知らせ
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